【豊中市】「玉井町への空襲を忘れない」空襲被害の説明板が「玉井町2丁目第2公園」に設置されました。
豊中市では、住民からの要望を受け「玉井町2丁目 第2公園」に空襲被害を伝える説明板を設置し、2022年6月7日長内豊中市長、花井豊中市議会議長、玉井町空襲を伝える会中右会長により除幕式が行われました。
説明板には昭和20年(1945年)6月の豊中空襲で犠牲になった玉井町地域に住んでいた住民をしのび、空襲の事実を伝える「玉井町への空襲を忘れない」説明文と絵が描かれています。
空襲直後の玉井町2丁目の絵は、地面に大きな穴があいている様子に驚きます。現在の「玉井町2丁目公園」付近は新しい戸建が立ち並ぶ閑静な住宅街。この絵の様子からは想像もつきません。
2013年(平成25年)には、遺跡調査により爆弾投下でできた巨大な穴が発掘されました。
1998年(平成10年)には、この公園で1トン爆弾の不発弾が見つかりました。
大きな被害が出た戦争の記憶は今の人々の生活に埋もれて忘れ去られてしまいそうです。子どもたちに語り継いで行く上でも説明板の設置には大きな意義がありますね。公園をご利用になるときは、ぜひ説明板をご覧ください。
豊中市玉井町2丁目第2公園内( 住所:大阪府豊中市玉井町2丁目9番)はこちら↓
同時にご紹介したいのは、豊島公園内にある「てしまの塔」です。
「てしまの塔」は第2次大戦における豊中の戦没者慰霊碑です。
第二次世界大戦中、豊中市に被害をもたらした空襲は、1945年(昭和20年)6月7日にはじまり、終戦の8月15日までに計6回を記録しています。
最も被害が大きかったのは、6月7日の空襲で大阪市内北部から豊中にかけてでした。
計6回の空襲で豊中市が受けた被害は、罹災人口1万2,951人、罹災家屋3,540、死者575人、負傷者898人に及び、大阪府内では、大阪市、堺市に次いで3番目に大きなものでした。
1968年(昭和43年)に建てられた「てしまの塔」は慰霊と世界から戦争がなくなることを祈って建てられたものです。季節の花々を楽しめる公園ですが、訪れた際には「てしまの塔」にもお立ち寄りください。